明治維新とは:5分でわかる
明治維新とは、1868年に江戸幕府が倒れ、明治天皇を中心とする新しい政府ができた政治の大変革のことです。中心になったのは、薩摩藩(いまの鹿児島県)や長州藩(いまの山口県)などの武士たちでした。新政府は、藩に分かれていた日本をひとつの国にまとめ、約20年のあいだに軍隊、鉄道、学校、憲法をそなえた近代国家へと作り替えました。
背景にあるのは、19世紀に欧米の工業国がアジアへ進出してきたことです。隣の清が戦争に敗れて不利な条約を結ぶ姿を見て、日本の指導者たちは「このままでは同じ道をたどる」と考えました。この大きな流れは、清・日本と西洋(1793〜1912年)でも整理しています。同じ圧力を受けながら、日本は国のしくみそのものを短い期間で組み替える道を選びました。ここが、世界史から見たときの明治維新のいちばんの特徴です。
明治維新はいつ?年表のつかみ方
「明治維新はいつですか」と聞かれたら、まず1868年と答えられます。この年に、王政復古の大号令(旧暦1867年12月9日、西暦では1868年1月3日)、鳥羽・伏見の戦い、江戸城の無血開城、五箇条の御誓文、明治への改元が続いたからです。ただし教科書では、黒船来航の1853年から大日本帝国憲法が出た1889年までを、ひと続きの流れとして学ぶことが多くなります。大づかみには、次の5つに分けると覚えやすくなります。
- 1853〜1858年:開国。ペリー来航と、日米修好通商条約などの不平等条約。
- 1860年代:幕府が弱まり、薩摩と長州が力をつけて倒幕へ向かう。
- 1867〜1869年:大政奉還、王政復古、戊辰戦争。
- 1869〜1873年:版籍奉還、廃藩置県、徴兵令、地租改正など、国の形を変える改革。
- 1877〜1889年:西南戦争のあと、大日本帝国憲法で新しい国のしくみが整う。
くわしい年表はページ上部の年表にまとめています。年号は「何が起きたか」と一緒に覚えると、記述問題でも使いやすくなります。
きっかけ:黒船来航と不平等条約
鎖国のなかで見ていた世界
江戸幕府は1630年代から、貿易の窓口を長崎(オランダと中国)、朝鮮、琉球などに限っていました。いわゆる鎖国の体制です。平和は長く続きましたが、幕府は海外の情報を集めていました。1839年から1842年のアヘン戦争で、大国の清がイギリスに敗れたと知ったとき、衝撃は大きいものでした。蒸気船と近代的な大砲の力を、はっきり示したからです。この戦争についてはアヘン戦争(1839〜1842年)で読めます。
ペリー来航と開国
1853年7月、アメリカのペリー提督が蒸気軍艦を率いて浦賀沖に現れ、貿易と、船が水や燃料を補給できる港を求める手紙を渡しました。翌1854年に再び来航し、日米和親条約が結ばれて、下田と箱館の2港が開かれました。この場面はペリー来航と日本の開国(1853年)でくわしく扱っています。
さらに1858年、幕府はアメリカと日米修好通商条約を結び、続けてオランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同じような条約を結びました(安政の五か国条約)。この条約では、貿易港が増えたうえに、日本は輸入品にかける関税を自分で決められませんでした(関税自主権がない)。また、外国人が罪を犯しても日本の法律で裁けませんでした(領事裁判権を認める)。日本側から見れば対等でない条約です。この不平等条約をなくすことは、その後およそ半世紀にわたる国の目標になりました。
幕府が倒れるまで(1858〜1868年)
条約は天皇の許可を待たずに結ばれたため、強い批判が起きました。大老の井伊直弼は反対派を厳しく処罰しましたが、1860年に江戸城の近くで水戸藩などの浪士に暗殺されました(桜田門外の変)。幕府の権威は年ごとに弱くなっていきます。そのなかで、薩摩藩や長州藩が発言力を強めました。合言葉は「尊王攘夷」、つまり天皇を尊び、外国勢力を追い払うという考え方でした。
ところが、この考え方は現実の力の差にぶつかります。1862年、薩摩藩士が横浜近くでイギリス人を殺傷し(生麦事件)、1863年にイギリス艦隊が鹿児島を砲撃しました(薩英戦争)。同じ年、長州藩が下関で外国船を砲撃し、1864年には英・仏・蘭・米の4か国艦隊が下関の砲台を破壊しました。この経験から、両藩は「外国人を追い払うのは無理だ。西洋の技術を学んで力をつけるしかない」と考えを変えていきます。
それまで対立していた薩摩と長州は、1866年に秘密の同盟を結びます(薩長同盟)。土佐藩出身の坂本龍馬が仲立ちをしたことで知られています。1867年11月(旧暦10月)、15代将軍の徳川慶喜は政権を朝廷に返しました(大政奉還)。新しい体制でも主導権を残したい、という思いがあったと考えられています。しかし同年12月、薩摩・長州と公家の一部が中心となって王政復古の大号令を出し、幕府の廃止を宣言して、慶喜に官位と領地を返すよう求めました。
1868年1月、京都の南で鳥羽・伏見の戦いが始まり、人数の少ない新政府軍が勝ちました。江戸城は4月に、西郷隆盛と勝海舟の話し合いによって、戦わずに明け渡されます(江戸城無血開城)。戦いは東北へ広がり、1869年に箱館(いまの函館)で終わりました。この一連の戦争を、1868年の干支にちなんで戊辰戦争とよびます。
新政府は1868年4月、五箇条の御誓文を出しました。会議を開いて世論に従うこと、知識を世界から求めることなどを示した、短い方針です。同じ年に元号が明治と改められ、江戸は東京と改称され、1869年に天皇も東京へ移りました。
新しい国づくり(1869〜1889年)
新政府の中心にいたのは、薩摩・長州・土佐・肥前出身の、比較的若い武士たちでした。大久保利通、木戸孝允、伊藤博文などです。かれらは「富国強兵」「殖産興業」「文明開化」という3つの合言葉で改革を進めました。おもな出来事を順に見ていきましょう。
- 1869年(版籍奉還):大名が土地と人民を天皇に返しました。
- 1871年(廃藩置県):藩が廃止され、政府が任命する役人が治める府や県が置かれました。ここで、藩による支配が制度として終わります。
- 1871〜1873年(岩倉使節団):岩倉具視らが、アメリカとヨーロッパを回って制度や産業を学びました。条約改正の話し合いも試みましたが、成功しませんでした。
- 1872年:新橋と横浜のあいだに日本初の鉄道が開通しました。同じ年に学制が出されて全国的な学校制度が始まり、官営の富岡製糸場もできました。
- 1873年(徴兵令・地租改正):身分に関係なく男子が兵役につく制度が始まりました。また、米で納めていた年貢にかわり、土地の値段にもとづいて現金で税を納める制度になりました。
- 1877年(西南戦争):西郷隆盛を中心にした不満士族の反乱が、徴兵された軍隊によって鎮圧されました。
- 1889年(大日本帝国憲法):2月11日に憲法が発布され、1890年に第1回帝国議会が開かれました。
この改革には、大きな痛みもともないました。武士は身分と給料を失い、新しい地租は農民の負担となって、各地で反対の一揆が起きました。不満を持った士族が各地で反乱を起こしたことも、この時代の大きな特徴です。
世界史のなかの明治維新
世界史から見た明治維新を考えるとき、よく比べられるのが清です。日本も清も、同じ西洋諸国から同じような圧力を受けました。清は1860年代から洋務運動を進め、武器工場や造船所をつくりましたが、皇帝を頂点とする政治のしくみは大きく変えませんでした。これに対して日本は、藩と身分制度をなくし、中央から国を作り直しました。もちろん日本には有利な点もありました。国土が小さく、まとまりやすかったこと、武士が行政の経験を持っていたこと、読み書きのできる人が多かったこと、そして欧米諸国が一致して日本に向かってこなかったことなどです。
成果は比較的早く表れました。日本は1894〜1895年の日清戦争に勝ちます。この戦争は朝鮮の混乱から始まっており、東学農民運動(1894年)が背景にあります。1902年には日英同盟を結び、1904〜1905年の日露戦争ではロシアに勝ちました。不平等条約の改正も段階的に進みました。1894年にイギリスが領事裁判権の撤廃に同意し、1899年に実施されました。関税自主権は、1911年にようやく完全に回復しました。
いっぽうで、日本自身も帝国主義の国になりました。1895年に台湾を領有し、1910年には韓国を併合しています。明治維新は、農民や商人ではなく武士の指導層が上から進めたため、「上からの革命」とよばれることがあります。非西洋の国でも工業化して西洋の国々と競えることを示したと同時に、その力が外へ向かうと何が起きるかも示した出来事でした。
試験に出るポイント
共通テストや定期テストでは、次の点がよく問われます。
- 年号:1853年(ペリー来航)、1858年(日米修好通商条約)、1867年(大政奉還。王政復古の大号令は旧暦の1867年12月9日で、西暦では1868年1月3日)、1868年(戊辰戦争・五箇条の御誓文)、1869年(版籍奉還)、1871年(廃藩置県)、1873年(徴兵令・地租改正)、1889年(大日本帝国憲法)。
- 原因:外からの圧力(黒船、不平等条約)、幕府の弱体化、薩摩・長州の台頭の3つで説明します。
- 比較問題:日本と清の対応のちがいを、国のしくみを変えたかどうかで比べます。廃藩置県や徴兵令などを具体例にしましょう。
- 意義:植民地にならずに近代化を進めたこと、条約改正を実現したこと、1895年以降に帝国主義の国になったことをセットで押さえます。
次に読む
- ペリー来航と日本の開国(1853年):危機のはじまりを、場面ごとにくわしく読めます。
- アヘン戦争(1839〜1842年):日本の指導者に未来を警告した、清の敗北を扱っています。
- 東学農民運動(1894年):近代国家となった日本が最初に戦った戦争へつながる、朝鮮の蜂起です。
- 清・日本と西洋(1793〜1912年):これらを一本の年表に並べた総まとめです。