5分でわかる19世紀アメリカ
19世紀のアメリカは、大西洋岸の16州から始まった国が、太平洋まで届く大国になった時代です。人口は1800年の約530万人から、1900年には約7,600万人へと増えました。その途中には、奴隷制をめぐる南北戦争(1861〜1865年)という大きな内戦がありました。
流れは大きく五つに分けると整理しやすくなります。①西部への領土拡大、②工業化と社会の変化、③奴隷制をめぐる対立と南北戦争、④再建期、⑤金ぴか時代です。受験では、それぞれの出来事の順番と因果関係がよく問われます。
世界史全体の中での位置づけは、1700〜1918年の世界史のまとめで確認できます。このページは、19世紀アメリカのテーマ全体をまとめるハブとして、各トピックへの入口になっています。
西部開拓:大西洋から太平洋へ
最初の大きな一歩は、1803年のルイジアナ購入です。ジェファソン大統領がフランスから約1,500万ドルでミシシッピ川の西の広大な土地を買い、国土はほぼ2倍になりました。1804年から1806年には、ルイスとクラークの探検隊が西部を調べています。1812年に始まった米英戦争(1812年戦争)は国境を変えませんでしたが、アメリカ人の自信を高め、先住民の連合を弱めました。1823年にはモンロー宣言が出され、ヨーロッパ諸国に、アメリカ大陸で新しい植民地をつくらないよう求めました。
拡大の負担をいちばん重く背負ったのは先住民です。1830年のインディアン移住法により、チェロキー、チョクトー、クリークなどの人びとは、ミシシッピ川の西へ移されました。1838〜1839年のチェロキーの強制移住は「涙の道」と呼ばれ、数千人が亡くなっています。
1840年代には「明白な天命(マニフェスト・デスティニー)」という言葉が広まり、拡大を正当化する合言葉になりました。1845年にテキサスが併合され、1846年にはイギリスとの条約でオレゴンの国境が北緯49度線に決まりました。同じ1846年に始まった米墨戦争(アメリカ・メキシコ戦争)は、1848年のグアダルーペ・イダルゴ条約で終わり、メキシコはカリフォルニアなど現在のアメリカ南西部の広い土地を手放しました。1848年にカリフォルニアで金が見つかるとゴールドラッシュが起こり、1850年にカリフォルニアは州になりました。1867年には、ロシアからアラスカを720万ドルで買っています。
工業化と社会の変化
領土の拡大は、経済や社会の変化とつながっていました。1793年にホイットニーが綿繰り機を発明すると、南部では綿花の栽培が大きな利益を生み、奴隷制はむしろ広がりました。北部では、1825年に開通したエリー運河や、その後の鉄道が、農場と工場と港を結びました。
移民も大きく増えました。1840年代後半のアイルランドの大飢饉をきっかけに、多くのアイルランド人が海を渡り、ドイツからの移民も数多くいました。ジャクソン大統領の時代(1829〜1837年)には白人男性の選挙権が広がりましたが、黒人や先住民、女性は政治の外に置かれたままでした。
これに対して、奴隷制廃止運動や禁酒運動などの改革運動が起こりました。1848年にはニューヨーク州のセネカフォールズで女性の権利を求める大会が開かれ、女性参政権運動の出発点になりました。
奴隷制をめぐる対立
1860年には、南部で約400万人が奴隷にされていました。新しい領土が増えるたびに、そこを奴隷州にするか自由州にするかが争いになりました。1820年のミズーリ協定は、ルイジアナ購入地に境界線を引いて対立を抑えようとしたものです。1850年の妥協では、カリフォルニアが自由州として加わる一方で、逃亡奴隷法が強められました。1854年のカンザス・ネブラスカ法は、奴隷制を認めるかどうかを住民の投票に任せたため、カンザスで武力衝突が起こりました。
1857年のドレッド・スコット判決で、連邦最高裁は、黒人は市民になれず、連邦議会も準州で奴隷制を禁じられないと判断しました。1859年には、ジョン・ブラウンがハーパーズ・フェリーの武器庫を襲い、南北の緊張はさらに高まりました。
奴隷制の拡大に反対する共和党のリンカンが1860年11月の大統領選挙で勝つと、同年12月にサウスカロライナが連邦から脱退しました。最終的に11州が脱退し、アメリカ連合国(南部連合)をつくりました。
南北戦争(1861〜1865年)
戦争は1861年4月12日、南軍がサウスカロライナ州チャールストン港のサムター要塞を砲撃して始まりました。北部(連邦側)は人口も工場も鉄道も多く、南部は自分たちの独立を守り抜けばよい立場でした。リンカンは当初、「連邦を守ること」を戦争の目的にしていました。
1862年9月17日のアンティータムの戦いは、アメリカの軍事史で一日の死者がもっとも多い戦いになりました。この後、リンカンは奴隷解放宣言を出し、1863年1月1日に発効しました。宣言は反乱地域の奴隷を自由とし、黒人の北軍入隊も認めたため、約18万人が兵士として戦いました。戦争の目的に奴隷制の廃止が加わった点が重要です。
1863年7月には、ゲティスバーグの戦い(7月1〜3日)とヴィックスバーグの陥落(7月4日)で北軍が勝ち、流れが変わりました。同年11月、リンカンはゲティスバーグで、「人民の、人民による、人民のための政治」という言葉で知られる短い演説をしました。
1864年の終わりには、シャーマン将軍がジョージア州を進軍して南部の経済力を削ぎ、1865年4月9日、南軍のリー将軍がアポマトックスでグラント将軍に降伏しました。その5日後にリンカンが銃撃され、翌日に亡くなりました。兵士の死者は約62万〜75万人と推定され、アメリカが戦った戦争の中で最大です。1865年12月に批准された修正第13条で、奴隷制は全国で廃止されました。
再建期(1865〜1877年)
再建期は、南部を連邦に戻し、解放された人びとの自由と権利を定める試みでした。修正第14条(1868年)は市民権と「法の平等な保護」を定め、修正第15条(1870年)は人種を理由に男性の投票権を否定することを禁じました。南部では黒人男性が投票し、議員になる例も出ました。
しかし、クー・クラックス・クランなど白人至上主義者の暴力が続き、北部の関心も薄れていきました。1876年の大統領選挙をめぐる争いは、1877年にヘイズが大統領になり、連邦軍が南部から引き上げることで決着しました。その後、南部の州は人種隔離(ジム・クロウ制)をつくり、1896年のプレッシー対ファーガソン判決は、「分離すれど平等」という理屈でその隔離を認めました。
金ぴか時代(1870年代〜1890年代)
「金ぴか時代」という名は、マーク・トウェインとチャールズ・ダドリー・ワーナーが1873年に出した小説『金ぴか時代』(The Gilded Age)に由来します。表面は金色に輝いていても、中身には深い問題があるという意味です。
1862年の太平洋鉄道法とホームステッド法は、鉄道建設を支え、入植者に160エーカーの土地を与えました。1869年5月10日、ユタ州のプロモントリー・サミットで大陸横断鉄道がつながりました。建設には、中国人やアイルランド人の労働者が数多く関わっています。鉄鋼、石油、鉄道でカーネギーやロックフェラーのような大富豪が生まれる一方、労働者は長時間労働と低い賃金に苦しみました。ヘイマーケット事件(1886年)、ホームステッドのストライキ(1892年)、プルマンのストライキ(1894年)は、その対立をよく表しています。
1890年のシャーマン反トラスト法は、独占を規制する初めての連邦法でしたが、当初はあまり効果がありませんでした。移民は南欧や東欧からも増え、1882年の中国人排斥法は中国人労働者の入国を禁じました。借金に苦しむ農民は、1890年代にポピュリスト(人民党)の運動を起こしました。
西部では、1890年12月のウーンデッド・ニーでラコタの人びとが多数殺され、これが先住民との大きな戦いの終わりと見られています。同じ1890年の国勢調査の報告は、連続した「フロンティア線」はもうないとしました。そして1898年の米西戦争で、アメリカはプエルトリコ、グアム、フィリピンを得て、ハワイも併合し、海外に領土をもつ国へ踏み出しました。
日本・中国・ロシアとのつながり
アメリカの拡大は、世界の動きともつながっていました。1853年にペリーの艦隊が浦賀に来航し、1854年の日米和親条約で日本の開国が始まります。1858年には、ハリスとの間で日米修好通商条約が結ばれました。中国とは1844年に望厦条約が結ばれ、太平洋への進出は東アジアの近代史にも影響しました。アラスカはロシアから買った土地です。くわしくは、清朝・日本と西洋(1793〜1912年)やロシア帝国(1721〜1917年)のページを読んでみてください。
試験に出るポイント
- 領土拡大の順番:ルイジアナ購入(1803年)→テキサス併合(1845年)→オレゴン協定(1846年)→米墨戦争とカリフォルニアなどの獲得(1846〜1848年)→アラスカ購入(1867年)。
- 南北対立の流れ:ミズーリ協定(1820年)→1850年の妥協→カンザス・ネブラスカ法(1854年)→ドレッド・スコット判決(1857年)→リンカン当選(1860年)。
- 奴隷解放宣言:対象は反乱地域の奴隷で、戦争の目的を広げ、黒人兵の参加を認めた点を説明できるようにしましょう。
- 再建期の修正条項:第13条(奴隷制廃止)、第14条(市民権)、第15条(投票権)。1877年以降になぜ形だけになったのかも問われます。
- 共通テストの見方:史料や年表の読み取りが中心です。日本の開国(1853〜1854年)とアメリカの西部開拓が同じ時期に重なることも押さえておきましょう。
次に読む
- 世界史1700〜1918年:革命、工業化、帝国、戦争が続く長い19世紀の中で、アメリカの位置を確認できます。
- 清朝・日本と西洋(1793〜1912年):ペリー来航など、太平洋を挟んだ日米中の関係がわかります。
- ロシア帝国(1721〜1917年):アラスカを手放し、広さでアメリカと並んだ帝国の歴史です。