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ロック、ルソー、モンテスキューは、どれも17世紀から18世紀にかけて活躍した啓蒙思想家です。三人が共通して問いかけたのは、「そもそも人はなぜ政府に従うべきなのか」そして「政府に何をさせてはいけないのか」ということでした。答えはそれぞれ違います。ロックは、人々が権利を守ってもらうために政府へ同意したと考えました。モンテスキューは、権力を三つに分けて互いに抑え合わせれば、自由が守られると説きました。ルソーは、主権は国民全体の一般意志にあり、代表者に譲ることはできないと主張しました。
三人の答えは、今の民主主義の仕組みにも残っています。違いを一つずつ見ていくと、議論の筋道がはっきりします。ロックは個人の権利から、モンテスキューは権力の制限から、ルソーは共同体全体の意志から出発している、と覚えておくと便利です。背景から知りたい方は、啓蒙思想の解説記事もあわせてどうぞ。
啓蒙思想家が問いを立てた背景
17世紀後半から18世紀のヨーロッパでは、多くの国を王や君主が治めていました。君主は神から権力を授かったとか、昔からの慣習だからという理由で支配を正当化していました。一方で、人々が政府に従う理由や、政府の権限の限界を公然と議論する空気も生まれつつありました。印刷された本、パンフレット、サロンでの会話が、その議論を大学の外へ広げていきました。
この議論の出発点になったのが、トマス・ホッブズの『リヴァイアサン』(Leviathan)です。1651年に出版されたこの本は、強い支配者がいなければ人々は絶えず争うことになり、平和のために自由の一部を支配者に委ねるのだと論じました。絶対的な権力を支える理屈にも見えるため、のちの思想家たちはこの結論と向き合うことになりました。ロックとルソーはホッブズの結論を退け、モンテスキューは別の道から権力の問題を考えました。
出来事や旅も、三人の考えに影響を与えました。1688年のイギリスの名誉革命では、王の権力を制限する体制が作られ、翌1689年にロックの『統治二論』(Two Treatises of Government)が出版されました。モンテスキューは1729年から1731年にかけてイギリスを旅行し、議会と国王がどのように互いを制限しているかを熱心に観察しました。ルソーは1712年にジュネーヴで生まれ、市民が集まって公共のことを決める小さな共和国で育ちました。その体験が、直接の政治への強い関心につながったと言われています。
ロック、ルソー、モンテスキューの答えの違い
ジョン・ロック:同意によって生まれる政府
ロックは『統治二論』の後半で、人々がもともと自由で平等な「自然状態」にいたと描きました。そこでは生命、自由、財産といった自然権を人々が持っています。しかし、自分のもめごとを公平に裁いてくれる存在がありません。そこで人々は同意して政府を作り、権利を守ってもらうよう任せるのだと考えました。
ロックにとって、政府は預かった信託のようなものです。政府が信託に背き、権利を踏みにじるなら、人々には政府を変える権利があります。この抵抗の考えは、のちのアメリカ独立の議論にも影響しました。また、ロックは権力を立法権、執行権、そして外交などを担う連合権に分けました。立法府が法律を作る中心だと位置づけた点は、今の議会制度にもつながっています。
もっとも、ロックが財産を重視したことは、財産を持つ人の利益を守る理屈だという批判も受けてきました。それでも「政府は同意に基づく」という中心の考えは、近代の政治を語るうえで欠かせない土台になっています。
モンテスキュー:権力は権力で抑える
モンテスキューの『法の精神』(The Spirit of the Laws)は1748年に刊行されました。この本の大きな問いは、法律がその社会にどう合っているべきかということです。モンテスキューは、法律が国の気候、宗教、習慣、交易、人口などと深く関わっていると考え、どの国にも同じ制度が当てはまるわけではないと論じました。
とはいえ、彼のもっとも有名な考えは三権分立です。イギリスの制度を手本として取り上げ、立法権、執行権、司法権の三つを説明しました。執行権は外交を担い法律を実行し、司法権は犯罪を裁き、争いを判断します。三つの権力を一人の人や一つの機関に集めると、自分の都合で法を作り、実行し、裁くことが起こりやすくなります。
モンテスキューの警告は単純です。権力を持つ者は、それを使いすぎる傾向があります。だからこそ、権力が権力を抑える仕組みが必要だというのです。彼は三つの権力を完全に切り離す壁を求めたわけではありません。互いに止め合い、どこかが行き過ぎないように均衡を保つことが、政治的な自由を守るのだと考えました。
ルソー:一般意志という主権
ルソーの『社会契約論』(The Social Contract)は1762年に出版されました。冒頭では、人は生まれながらに自由なのに、いたるところで鎖につながれていると述べています。ルソーが目指したのは、人々が自由を失わずに共同体を作る方法でした。各人が自分の身と力を共同体に差し出しても、その一員として法を作る側にも立てる仕組みが理想なのです。
その仕組みを導くのが一般意志です。一般意志は、人々の個別の利益を足し合わせたものではなく、共同体全体の共通の利益を目指す意志です。ルソーは、主権は人民にあり、その主権は代表者に譲ることができないと考えました。選挙で選ばれた議員が国民の代わりに決めてしまえば、人民は自分で法を作る自由を失うからです。そのため、法律は市民自身が決めるべきだとし、政府は法律を実行するために任された機関にすぎないと位置づけました。
ただし、「一般意志」という言葉は、多数派の意向が少数派を押さえつける理屈として使われるおそれがある、という批判も受けてきました。この批判は、ルソーの思想をどう評価するかという大きな論争の一つです。
三人の答えを並べると、次のように整理できます。
- 権力の源:ロックは人々の同意、モンテスキューは法と社会の仕組み、ルソーは一般意志。
- 権力の担い手:ロックは議会が中心で、その下に執行の仕組み。モンテスキューは三つに分かれた権力。ルソーは市民が自分たちで集まって決める形。
- いちばん心配したこと:ロックは信頼を裏切る政府、モンテスキューは権力の集中、ルソーは個人の利益が共通の利益を上回ること。
- 抵抗の考え:ロックは政府が権利を踏みにじったとき抵抗を認めました。モンテスキューは革命よりも制度による歯止めを重視し、ルソーは主権が人民から離れないことを重視しました。
その後の影響
ロックの同意と自然権の考えは、1776年のアメリカ独立宣言に影響を与えたと広く言われています。宣言は、政府の正当な権力は被治者の同意に由来すると述べています。モンテスキューの権力分立は、1787年に作られたアメリカ合衆国憲法にも影響したとされ、連邦政府は立法、行政、司法の三つに分かれ、互いに歯止めをかける仕組みになっています。
ルソーの人民主権は、フランス革命の急進派に大きな影響を与えました。1789年のフランス人権宣言は、人間の権利を定めるとともに、法律は一般意志の表明であると述べています。現在の多くの憲法は、この三人の考えを少しずつ組み合わせています。選挙で選ばれた議会があり、権力は分かれており、主権は国民にあるという形です。
三人の思想は、一つの正解を示すものではありません。政府の権力はどこから生まれるのか、権力をどう制限するのか、誰が法律を決めるのか。この三つの問いに、それぞれ別の答えを出したことが、その後の政治の多様な形につながっています。
試験に出るポイント
試験では、一人の思想家の説明だけでなく、三人を比べさせる問いが考えられます。大学入学共通テストの公民科目では、権力の源という観点から三人を比べる問いが考えられます。答案では、まず三人の権力の源の違いを書き、その違いが制度にどう表れたかを続けると、論理が通りやすくなります。
たとえば、ロックの同意の考えは、アメリカ独立宣言の抵抗の根拠として説明できます。モンテスキューの権力分立は、アメリカ合衆国憲法の三権の仕組みと結びつけて書けます。ルソーの一般意志は、フランス革命の指導者たちが、自分たちこそ国民全体の意志を代表すると主張した背景を説明する材料になります。ただし、「どれか一人が正しく、他は間違っていた」と書くのは避けましょう。三人の考えは、その後何十年も組み合わされ、議論されてきたからです。
よくある混同にも注意してください。ロックの自然権は、ルソーの一般意志とは別の考えです。また、ルソーの一般意志が独裁を正当化しうるという批判は、彼の思想に対する評価として書くべきもので、中立的な説明として書くのは避けましょう。
覚え方
三人の違いは、一つの言葉ずつで覚えると整理しやすくなります。
- ロック:同意。政府は人々が権利を守るために同意して生まれます。
- モンテスキュー:分ける。権力を三つに分け、互いに抑え合わせます。
- ルソー:全体の意志。一般意志は代表者ではなく、国民全体にあります。
この三つの言葉を思い出せれば、三人を比べる問題の大部分に答えられます。まずは、ロックは同意、モンテスキューは分割、ルソーは全体の意志、と声に出して確認してみてください。
次に読む
さらに深く知りたい方は、次のページもどうぞ。
- 啓蒙思想の主な考え方:三人が共有していた思想の広い流れがわかります。
- ホッブズ、ロック、ルソーの社会契約論:社会契約という考えが三人でどう変わったかを比べられます。
- ジョン・ロックとは?生涯と思想:ロックの生涯と主な著作を、くわしく知ることができます。