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啓蒙思想とは何か
啓蒙思想とは、18世紀を中心にヨーロッパで広がった知的な運動です。人間は理性を使えば世界を正しく理解でき、社会もよりよくできると考えました。そのため、伝統や教会、王の権威をそのまま受け入れず、証拠と論理によって問い直したのが、この時代の大きな特徴です。
フランス語では「光の世紀」(Siècle des Lumières)とも呼ばれ、英語ではEnlightenment、ドイツ語ではAufklärungといいます。いずれも、暗がりに光を当てて物事をはっきり見えるようにするという意味合いをもつ言葉です。
「啓蒙」という言葉は、道理を知らない人に道を示すという意味の漢語です。明治時代に西洋の思想を紹介する際に翻訳語として使われ、日本でも少しずつ知られるようになりました。啓蒙思想を簡単に言えば、理性で世界と社会を問い直す運動だといえます。
啓蒙思想が生まれた背景
啓蒙思想が生まれた背景には、いくつかの変化が重なっていました。まず、ニュートンの『プリンキピア』(1687年)によって、観察と数学で自然の法則を説明できることが示されました。この成功を見た人々は、社会や人間についても理性で説明できるはずだと考えるようになりました。
次に、ヨーロッパでは三十年戦争(1618〜1648年)などの宗教対立が大きな被害をもたらしました。信仰の違う人々がどう共存できるのかという問いが切実になり、国家が特定の信仰を強制してよいのかという疑問が生まれました。
政治の面では、イギリスの名誉革命(1688〜1689年)が転機になりました。国王ジェームズ2世が議会を無視して統治しようとしたことに反発が起こり、国王の権力に歯止めがかけられました。ジョン・ロックが政府の正統性を論じるうえで、この出来事は現実の例になりました。
さらに、印刷された本やパンフレット、新聞が国境を越えて広がりました。学者同士も手紙を交わし、ヨーロッパ各地やアメリカの植民地とも議論を続けました。歴史家はこの知的な結びつきを「文芸共和国」と呼び、新しい思想が一部の人のものではなく、広く共有されたものであったことを示しています。
啓蒙思想の中心となる考え方
啓蒙思想家たちは、いくつかの考え方に繰り返し立ち戻りました。第一は理性です。主張は権威だけで認めるのではなく、証拠と論理によって確かめるべきだという考えです。第二は自然権です。人は生まれながらに生命、自由、財産などの権利をもち、政府はそれを守るために存在するという考えで、ロックがもっとも体系的に示しました。
ロックの『統治二論』(1689年)は、政府の権力は人民の同意にもとづくものだと論じました。政府が人々の権利を守らないときには、人民が抵抗する権利をもつという考えも示しています。
第三は権力の分立と制限です。モンテスキューは『法の精神』(1748年)で、立法、行政、司法の権力を分けることで、一人や一つの機関に権力が集中しないようにすべきだと論じました。これは、権力どうしが互いに抑え合う仕組みを作るという発想です。
第四は宗教的寛容です。ヴォルテールは、プロテスタントの商人カラスが無実を訴えながら1762年に処刑された事件に抗議しました。裁判で有罪とされたこの事件は、多くの人に不当だと感じられ、ヴォルテールは名誉回復を求めて運動を続けました。その結果、1765年に判決は取り消されました。
第五は進歩の考えです。人間の社会は、知識や教育、改革によって少しずつよくなるという希望を、多くの思想家がもっていました。コンドルセは、フランス革命の混乱のなかで身を隠しながら書いた著作で、この希望を示しました。
もちろん、思想家の意見がすべて一致していたわけではありません。ルソーは『社会契約論』(1762年)で、正当な権威は人民の一般意志から生まれると論じ、富や不平等が人々を分断することにも強い警戒を示しました。ヒュームは、原因と結果の関係をどこまで確かめられるかについて慎重な立場をとりました。
カントは1784年の論文「啓蒙とは何か」で、啓蒙を、人が自ら招いた未熟な状態から抜け出すことだと説明しました。そして、他人の導きに頼らず、自分の頭で考える勇気をもつよう呼びかけました。この言葉は、啓蒙思想の本質をよく表しているとされています。
思想はどのように広がったか
啓蒙思想は、パリのサロン、ロンドンのコーヒーハウス、ドイツの都市の読書会などを通じて広がりました。都市の人々は、新聞や小冊子を読みながら、政治や宗教について語り合うようになりました。なかでも大きな役割を果たしたのが、ディドロとダランベールが編集した『百科全書』です。1751年から刊行が始まり、農業、工芸、科学、政治などの知識を、一般の読者にも役立つ形で集めました。
『百科全書』は、教会や王権の検閲によって妨害を受けました。編集者のディドロ自身も1749年に一時投獄され、1759年には国王の出版特権が取り消されています。それでも多くの読者を獲得し、本が権威に疑問を投げかけながら、国境を越えて人々に届きうることを示しました。
スコットランドでは、エディンバラやグラスゴーの大学を中心に、ヒュームやアダム・スミスらが活動しました。この動きは「スコットランド啓蒙」と呼ばれ、人間の本性や社会の仕組みを、観察にもとづいて説明しようとした点に特色があります。
王の中にも、啓蒙思想を取り入れようとする人がいました。プロイセンのフリードリヒ2世、ロシアのエカチェリーナ2世、オーストリアのヨーゼフ2世らは、法律、教育、宗教政策の改革に取り組みました。これらは「啓蒙専制君主」と呼ばれます。ただし、改革は上からのものであり、王が権力を手放すことや、多くの人々に政治参加の権利を与えることはありませんでした。
啓蒙思想の影響
啓蒙思想の影響は、政治文書にもっとも明確に表れています。1776年のアメリカ独立宣言は、生命や自由などの不可侵の権利を掲げ、政府の権力は人民の同意に基づくと述べました。アメリカ合衆国憲法には、権力を分けて互いに抑制させるという考え方が取り入れられています。
フランスでは、1789年8月に「人間と市民の権利の宣言」が採択されました。ここでは、自由と法の下の平等が基本原則として示されています。この宣言は、啓蒙思想の権利の考えを、社会の制度に結びつけようとする試みでした。
ただし、啓蒙思想だけで革命が起きたわけではありません。財政の危機や身分制への不満など、政治、経済、社会の要因が重なっていました。啓蒙思想は、その不満に言葉と理屈を与えたと考えるのが一般的な見方です。
法律や社会制度への影響も見逃せません。ベッカリーアは1764年の『犯罪と刑罰』で拷問や死刑に反対し、刑罰制度を見直すよう訴えました。ウルストンクラフトは1792年の『女性の権利の擁護』で、女性も理性をもつ存在として、権利と教育を受けるべきだと主張しました。スコットランドのアダム・スミスは1776年の『国富論』で、市場や分業の仕組みを分析し、経済学の基礎を築きました。
日本でも、明治時代に啓蒙思想は大きな関心を集めました。福沢諭吉は『学問のすゝめ』で、人は生まれながらに平等であると説き、学問によって自ら独立することの大切さを訴えました。1873年には、福沢、西周、森有礼らが明六社を結成し、西洋の学問や思想を広める雑誌を刊行しました。
一方で、啓蒙思想には厳しい批判もあります。その普遍的な権利の理想は、奴隷にされた人々、多くの女性、植民地の人々には十分に及びませんでした。思想家のなかには人種に関する偏った考えを示した人もおり、それが後に奴隷制や植民地支配を正当化するために使われたことも、歴史家が指摘しています。理想と現実の差を見ることも、啓蒙思想を理解するうえで大切です。
主な思想家
代表的な思想家と、その中心的な考えを整理します。啓蒙思想家とは、理性を使って政治、宗教、法律、経済のあり方を問い直した人たちのことです。
- ジョン・ロック(イギリス):自然権と、同意に基づく政府を論じました。代表作は『統治二論』(1689年)です。
- モンテスキュー(フランス):『法の精神』で、権力の分立を説きました。
- ヴォルテール(フランス):宗教的寛容と言論の自由を訴えました。
- ディドロ(フランス):ダランベールとともに『百科全書』を編集しました。
- ルソー(ジュネーヴ出身、フランスで活動):『社会契約論』で人民主権を論じました。
- カント(プロイセン):「啓蒙とは何か」で、自分の頭で考える大切さを示しました。
- ヒューム(スコットランド):経験と観察を重んじ、原因と結果の関係に慎重な立場をとりました。
- アダム・スミス(スコットランド):『国富論』で、市場と分業の仕組みを分析しました。
試験に出るポイント
試験では、啓蒙思想の考え方と、それがどの革命や制度に影響したかを結びつけて答える問題がよく出ます。次の三つを押さえておくと整理しやすくなります。
- ロックの自然権や同意の考えは、アメリカ独立宣言やフランス人権宣言に影響を与えました。
- モンテスキューの権力分立は、アメリカ合衆国憲法の三権分立の考え方につながりました。
- ルソーの人民主権は、フランス革命の政治思想の柱の一つになりました。
年代は、著作と一緒に覚えると整理しやすくなります。たとえば、1689年のロック、1748年のモンテスキュー、1762年のルソーのように組み合わせて覚えてください。
また、啓蒙専制君主が改革を行いながらも王の権力を保ったことや、普遍的な権利の理想が一部の人々にしか及ばなかったことも、限界として説明できるようにしておきましょう。「理性の時代」という言葉だけでは、答えが浅くなりやすいので注意してください。
答案では、「何が変わったのか」と「誰がまだ除外されていたのか」の二つを問うと、説明に深みが出ます。
次に読むなら
革命の流れを続けて読むなら、アメリカ独立革命の解説で、自然権や同意の考えが1776年の独立にどうつながったかを確認してください。次に、フランス革命の解説で、同じ考えがフランスでどのように実践されたかを読むと理解が深まります。全体の流れは、1700〜1918年の世界史の解説で整理できます。